今考え中だ

こじらせ中年って多いですよね。恋愛市場引退したいような、それでいて、私だってまだまだ的な。「まだまだ、ときめいていたいっ」っていう完璧リア充も多いけど、一方で、わたしなんて、いやー、もう、でも?みたいな人も多いと思うんです。つまらない日常からどうやって目をそらしてこう?というヒントが提示できたらという作品を書いていきたいと思っています。また、考えすぎて頭がバカとか変態になっていしまった方へ向けてのメッセージも込めてます。若い人にも読んでいいただきたい!死ぬからさぁ。

また新連載2:卒女生徒

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でも「順調に進んでる」って言っていいのかなって思う時もそれはある。だって彼氏がいたことなど、人生のうち、一回もないのだから。それでいいのかなって思う。時々すっごく思う。誰にも言えないけれど三十のわたしはまだ処女だ。そういう女子っているのかなって考えたときに、ふっと前を向くとここいら辺では一番背の高い、タワーマンションが見える。このタワーマンションに知り合いなどいないし、中は知らないけれど、てっぺんについている、ピカピカ点滅する、その灯りが可愛いなっていつも思う。きっと広いリビングがあるんだろうなとか、やっぱり床暖なのかなとかも思うけど、そんなことより、やっぱりあの一番てっぺんにある赤い灯り、ピカピカ点滅するあの赤い光、それがなんだかかわいいと思う。特に朝なんて急いでるから、もっとだけれど、仕事からの帰り道、そうね、今日はショッピングもして食事もしてからの帰り道、何階まであるのか数えてみてもいいかもしれない、と思った瞬間に、きっと数え始めたら、すぐに飽きてしまうだろうって思って、数えるのをやめる。それはよくある現象で仕事からのつまらない、けれどとても確かな帰り道も起きる現象だ。

 それにしても駅から徒歩十分っていうのは、本当に好立地なのだろうか? 駅から帰りながらよく思う想念だ。不動産のチラシには確かに「駅まで10分の好立地!」と書かれていたと思いだせるのだけど、10分っていうのは歩いてみるとけっこうあるっていうような気がはじめっからしていた。「10分」。それを楽しめることもあるし、苦痛でしょうがない時もある。悲しくなってくることだってある。悲しくなってくるときっていうのは、たいてい比べているときだ。たとえば大手の出版社の編集者をやっている旦那さんを持ち、美貌で、美容部員として百貨店で働く友人とわたしを比較なんてしてしまう時。若い頃は、比較してしまった瞬間、次の瞬間に、それを否定した。比較なんてばからしいのだと。けれど最近は少しだけ違う。比べちゃうよ。だって。

 ぼんやりと交差点を渡っていた。足元の水たまりを避けつつ、青信号を永めながら歩く。突然足が踏まれた気がして、すぐ前を見ると

「ごめんなさい!」

と言って謝る青年がいた。ああ、わたしこの青年に足を踏まれたんだって、やっと納得したし、それが水たまりの中での出来事だったっていうことも理解した。

「どうしよう。ごめん。足踏んじゃって。なんだか髙そうで新しそうなパンプスなのに」

「いいえ、いいの。だってね、今日新しいパンプスも買ったばかりなの」

そう言って、ナインのシューズケースの入ったショッパーを高く上げてみせた。我ながら上出来だ、そう思った。そして行きすぎようと、

「じゃあ」

と言うと、

「待ってくれ。足、ストッキングが濡れちゃっただろう? 乾くまであそこのマックでお茶しない?」

別に用事があるわけじゃない。そしてこれがナンパだっていう風にも思えない。そしてわたしが特段、きれいだってわけじゃないし、スタイルがいいっていうわけでもない。ナンパっていうわけがない。

「でもね、お茶を飲み終わるより先に、ストッキングなんて乾いちゃうと思うけど」

と言うと

「いいから」

と言って、マックの方へ進んでいく。その「いいから」っていう言葉に、ああ、やっぱり。グレースのムートンっていうやつとナインのパンプスは、魔法をかけるんだ、と思った。彼がわたしのパンプスを踏んだのも魔法、ストッキングが濡れたのも魔法、「いいから」っていう青年の言葉も魔法。魔法だからとける日がくる。まるでめざし時計が鳴りだすみたいに。その魔法がとける日、それがもっと先だといいな、っていうか覚めないでほしいなって思う。でも本当は怖がってる。今は月と星がきれいなこの空は、ずっとずっとつながっている。たとえばそれは場所によってはとても美しい、洗濯物をビビッドに写す晴天であったり、なんだか気が滅入るような曇天であったりしてもだ。

 わたしだって隣にいる人の手を握ってみたい。それが冷たいのか暖かいのか確かめてみたい。けれど怖い。手を取ろうとした瞬間に、ふいっと避けられるのが。

「今日は本当にごめんね」

そう言いながら青年が持ってきたのはアップルパイとホットココアだった。そしてその背年はそれらをテーブルの上に置き、ダッフルコートを脱いでいる。ブラウンのセーターに、黒のスキニー、そしてエンジニアブーツだった。その恰好を見ただけで想像がつく。きっとこのエンジニアブーツは思い切った買い物だったのだろうなって。欲しくて欲しくてしょうがなかったんだろうなって。

 青年は「どうぞ」と言って、アップルパイを自分でも食べだした。

「じゃあ、いただきます」

そう言ってわたしもアップルパイの封を開ける。すると青年が、

「あ、」

と言って、一回アップルパイを置き、

「いただきます」

と言ってから笑う。こんな魔法いいな、本当にいいな、そう思いながらわたしはホットココアのカップに口をつける。アップルパイのトロッとしたリンゴも甘い。ホットココアも甘い。甘い甘いひと時。それだけのひと時。終わってしまったらなんでもない、この長い人生の先に覚えていられるか、それもわからない、けれど舌に残る甘さは本物の、そんなひと時。

 青年の顔を見る。いわゆるおしょうゆ顔っていうやつだろうか? なんというかさっぱりした顔をしている。「日本の、夏」という決め台詞を耳にするようになって長いが、なんていうか、この青年も「日本の、王子」とでも表現したい顔をしている。ふっとお母さん、お父さん、ごめんなさい。という言葉が浮かび、なんだそれ? ときょとんとする。

「もっと派手なのかなって思った」

「え?」

「うん。服装のこと。なんていうのかな、新宿ミロードなんて俺、行ったことないけどさ、そういうところで買うようなね、そんなファッションで身を固めているんだろうと思っていたから、そのシンプルなニットとボーイフレンドデニムが妙に新鮮」

「わたしは時々は新宿ミロードに行くけれど、そうは買わない。今年の夏、ミュウミュウのミュールを買ったかな。あとは、ああ、そういえばマークジェイコブスで秋にバッグを買ったっけ」

みんなウソだ。新宿ミロードへの行き方でさえ危うい。

「靴、ごめんね。新しそうだったよね」

「そんなに新しくもないわ。ただ時々にしか掃かないっていうだけ」

それもウソだ。

 今、魔法がかかっているつもりのわたしは、多分シンデレラなんだろう。それならばこのナインの靴を置いて、けんけんで帰ってしまいたい。できるだろうか、わたしの部屋までけんけんで帰ることが。そんな風に考えたら、なんだかバカらしくなって、わたしのウソだってバカらしくなって、何をそんなに気取った女なんだって、もうバカらしくなって、青年が踏んだ方の、ストッキングが濡れた左足にパンプスを履かずに足を上に組んでいたのを、もうやめたくなってきて、よく考えてみると、何を考えていたんだって気持ちにもなってきて、いいや、と立ち上がって、

「帰ります」

と言ってしまった。

青年はわたしを見上げ、「え?」という顔をしている。