また新連載5:卒女生徒
そこまで思ったら、なんかシラッとした気分になった。そうね、確かにここまで育ったのはお父さんとお母さんのおかげ。それもある。でも途中からはお父さんお母さんに育てられながらも、たくさんの人や物ものに育ててもらった気がする。死んでしまおうかって思ったときに見たプロレスの名勝負とか。そう、そういうもの。死んでられない。生きてやる、その時はそう思ったような気もする。ありがとう、みなさん。ありがとう、弱さを見せてくれた人や物。それはわたしの、もしかしたらある「やさしさ」を育ててくれました。おしめだってありがとう。おまるだってありがとう。ご飯だってありがとう。あーーーー、つまらない。そういうことを考えてつまらないって思うの、どうかって思う。感謝の羅列をしているときにね。ほんとどうかと思う。だけどわたしは無性につまらなくなって、えい、コンビニへ行こうと思った。ひとつ理由だってある。今日のわたしは圧倒的に野菜が足りないと思ったのだ。野菜不足は便秘と肌荒れを女子に起こします。野菜ジュース。そんなものは私固有の冷蔵庫には入っていない。だからコンビニまで行こうと思ったのだ。鏡を見る。人相が悪いってまでは思わないけれど、確かに今、面白くもなさそうに、憮然と映っている鏡の中のわたしは確かに愛想なしだ。わたしは薄くおしろいを塗って、口紅をつけた。そして部屋着のスウェットのワンピースにピーコートを着て、出ていこうとしたとき、思いついて白地に赤の緑のチェックのマフラーをぐるぐる巻いた。それは主張しすぎないけれど、「メリークリスマス」っていうわけだ。みなさんメリークリスマス。わたしはイヴは男性と銀座で食事をして、その後その男性のお宅にお泊りっていうわけ。なんて、そんなのあるはずない。あるはずないんだ。きっとその日は誰に言うわけでもないまま、ミンクピンクの7分袖のニットを着てミニスカートを履いて、もちろん、ムートンのコートとパンプスを履いて、仕事をして、帰り路、売れ残って安くなったチキンと、ショートケーキを買って、部屋で一人でクリスマスっていうわけになるだろう。
わたしはセブンで考えてしまった。確かに野菜ジュースを買いに来たのだから、かごには「1日分の野菜」は入っている。けれどなにか甘いものが欲しかった。とてもとても甘いもの。そう、ショートケーキでもないし、モンブランでもない。もちろん杏仁豆腐でもない。わたしは様々悩んだ結果、黒糖饅頭を2つ買った。
そして家に帰るとお湯を沸かした。どうしてわたしがつまらないのか、今日一日、緊張して唾を何回も飲み込んだのかわかってる。お湯が沸いたピーッと言うやかんがやかましい。1Kなのに立ってその火を止めようとも思わない。だって今、考えないようにしていたこと、それを考えるのをやめようと、止めようとして買ってきた黒糖饅頭を食べている最中、あーーー、このピーっていう音うるさい。本当にいつもいつもわたしの人生、愛想がよくて、みんなに好かれる、愛されるわたしの人生を邪魔してきたのはこの音だ。だれかが手を差し伸べる。その瞬間にまるで警報機のように、このやかんはピーッと鳴りだす。そしてその手はひっこめられ、もう二度と差し伸べられないし、その手を握るチャンスを失う。このとても甘い塊を、十分に味わって、その微細な黒糖さえかぎ分けて、ゆっくりと味わうべきこの黒糖饅頭を味わう邪魔、これを邪魔するのは他でもない、このやかんだ。捨ててしまいたい。今わかっていること。それはあの青年を思い出したくなかったっていうことだ。クリスマスは銀座で男性とディナーを食べ、その男性の高級マンション、そう、ヒロコの家にあったような大きな威張ったテレビやオーディオ機器がたくさんある、そんな男性の家へのお泊り、そんな想像で甘い黒糖饅頭を今電話がかかってきたら、しゃべれないから、出られないっていう感じで、口いっぱいにほおばって、甘くて甘い塊で、それをほおばって、死にいざなわれる、そんな感覚を「メリークリスマス!」っていう感じでいざなわれ、それでいい、そうそれでいいと思いたかったのに、やかんが邪魔をした。
わたしはやっとガスを止めた。ガラスの急須にお茶っぱを入れる。ティーバックのお茶はわたしの子供の頃の限定のお茶だ。新幹線で飲んだ。名古屋に行く途中だった。動物園と植物園に行った。どうしても忘れられない出来事があった。わたしが家族に、
「どうして、この階段は一段一段が広く作られているか知ってる?」
と聞いた。みなわからないと言う。
「あのね、これは、馬がこの階段をね、登ったり下りたりするようにね、広くできてるっていうわけなの」
って説明したら、お母さんにもお父さんにも、おい、お前よくそんなこと知ってるなって言われて、妹には
「お姉ちゃんて、すごーい」
と言われたのだ。そう階段が広いのは馬のため。そうよ。階段が広いのは馬のためなんだから。
お茶に口をつけたら、とても飲めないほど熱い。あつって声をあげて、泣き出した。あの名古屋の思い出。それと青年の顔が二重写しのように見える。それらが涙で絵の具をとかしたような水にも見える。明るくて様々な色々。何もかもにじんでいる。死へのいざない。それはカラフルな色々だ。なにをしようかなって考える。そしてしたいこともすべきことも見つからない。カラフルだ。様々な色だ。
その時やっと電話が鳴った。お母さんかなって思ったら、ヒロコだった。
「どうしたの? わたし今ゆっくりとお茶を飲んでる最中なんだけど」
「電話に出ていきなりそれじゃ、愛想がないだけじゃない、彼氏だって作れないわよ」
「妙に威張ってるテレビみたいな言い方ね。それって」
「威張ってるテレビ? ふうん」
「用件は? 端的に言ってほしいけど」
「あんたって本当に相変わらずね。まあ、クリスマス、予定ないでしょ」
「クリスマス、予定ないでしょ、っていうあなたの方が、相変わらずだって思うけど」
「でも、ないんでしょ?」
「まあ、ないけど」
「それなら、渋谷にあるレストランを借り切って、旦那の友達がパーティーを開くことになってね。それでご友人もよかったら一緒にっていうわけ。端的でしょ?」
「いつもとても長ったらしい、あなたにしては端的だってけど、断るわ」
「どうして?」
「わたしはTシャツを着て黒いスキニーを履いて、エンジニアブーツを履いているような、そんな人がタイプなの。別に懸命にダイエットをして懸命におしゃれをして、そんなパーティーに出席しようなんて思えないわ」
「じゃあ、あなたはずっと独身よ」
「どうして?」
「だってあなたって人は光る汗を追い求めているんでしょ?」
「まあ、それに近いけど」
「その汗をかく人は、あなたを探してはいないし、探していたとしても、その汗は近くに寄ればむっとするほど、汗臭いのよ。それは間違いなくね」
「わたしにとって、それはギラギラよ。わたしが求めているのはね、キラキラなの」
「キラキラした汗をかく人は更にキラキラしたものを探してる。自分から、最初っから、パーティーに参加しないのなら、その人に出会う確率は恐ろしく0に近いのよ」
「ごめん。でもパーティーには本当に参加したくないな。だってわたし今49キロよ。大きな図体をしていい歳の独身女がパーティーに参加って、なんだかみじめだって、みじめな結果しか待ってないって、そんな気がする」
「まあ、いいわ。当日まで考えて。当日でも遅くないから」