今考え中だ

こじらせ中年って多いですよね。恋愛市場引退したいような、それでいて、私だってまだまだ的な。「まだまだ、ときめいていたいっ」っていう完璧リア充も多いけど、一方で、わたしなんて、いやー、もう、でも?みたいな人も多いと思うんです。つまらない日常からどうやって目をそらしてこう?というヒントが提示できたらという作品を書いていきたいと思っています。また、考えすぎて頭がバカとか変態になっていしまった方へ向けてのメッセージも込めてます。若い人にも読んでいいただきたい!死ぬからさぁ。

また新連載8:卒女生徒

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やっぱり考えるまでもない。渋谷でのパーティーとかなんとかは断ろう。あの時はそう答えて、そう思った。確かに「進もうと思わなければ止まっている」というのは本当だ。日常のルーティンをおろそかにしたくはない。怠惰へ落ちていくのはいやだ。だからお弁当も作るのかもしれないし、掃除機をかけるのかもしれない。休みの日に本棚や棚に置かれた雑貨を雑巾で拭くのかもしれないし、手抜きではあっても休日のお昼だってお夕飯だって作るのかもしれない。

 そうやって逃れてる。今のところ大きな失敗はない。逃れているつもりだ。でもわたしのしっぽを掴もうと、なにかに追われてる。だから隠れてる。それは父の実家、山形の押し入れの中かもしれない。警察? まさかね。

 でも人生、そんなようなもの、それには臆病になってしまうし、わたしには怠惰の呪いがかけられている。怠惰の呪い。それに憑依されたのはいつからなんだろう。小学生の時から? そんなことはないだろう。高校の時、家に帰って食べ終え、空になったお弁当箱をシンクの水をはった桶につけておけと何回もお母さんに言われても、わたしにはそれをできなかった。それでお母さんは翌朝弁当を作って、さあお弁当箱に入れようってなってから、やっとお弁当箱を洗っていないことに気づくのだ。空になったお弁当箱を家に帰って、シンクにある桶につける。それができなかった。妹はキチンとそれを怠らなかった。今妹は結婚し、子供もいる。旦那さんは郵便局に勤めていて、生活の時間帯が、妹や子供とずれているそうだ。けれど旦那さんの休みには必ず近所のガストに行くらしい。そこで旦那さんはビーを一杯だけ飲むらしい。そう、わたしの人生とは違うカーブを描く。そういう曲線。離れてしまった。妹は愛想がよかった。そして間違わなかったし、空のお弁当箱を、シンクの桶にいれるのを忘れなかったからなのかもしれない。どうしてわたしは何回もその空のお弁当箱をシンクの桶にいれておくっていうそれだけのことを、忘れたのだろう。少し思い当たる。私はその頃学校でも、通学の時も、家に帰ってももどかしいように本を読んでいた。本、ハウツーものや自己啓発の本でもなければ、そこにつまっているのは、人生の苦悩のようだった。たとえばカフカは「変身」で、メランコリックを描いた。それは孤独とさみしさだった。本を読むスピードでわたしは外に出なくなり、そのスピードを保ちながら、怠惰、そう人生への怠惰と、社会への恐怖を感じるようになっていった。人生には必ず、震えるような悲しみがついてくる。

 エアコンが効いていきた。温かく片付いた部屋。RCの「ハートのエース」をかける。もうとっくにコートはクローゼットにしまった。バッグはベッドの横に置いてある。やっとくつろいだ気分になれた。多分エアコンの暖かさのせいだろう。いつものように、ムートンの敷物の上に座り、労働をした日の、家に着きくつろいだ気分で吸うピース。そうだ。ピースっていうのは、平和って意味だ。誰でも知っているかもしれないけれど、誰かに伝えたい。ピースっていうタバコのピースっていう名前はね、平和っていう意味。そう? 知ってたんだ。そう、常識っていうやつなのね。そしていつも通りお風呂に入る。今日は重曹を入れてみた。病院の看護師さんが温浴効果もあって、なおかつ肌の角質もとってくれるって言っていたからだ。無色透明の湯。いつもと変わらない。肩まで深く入ると、顔にもお湯を両手ですくってパシャパシャとつける。そういつも通り。いつもと同じ。それをいやだなんて思ってはいけない。だからわたしはパーティーに行かない。ちょっと憧れた。ちょっとうらやましいと思った。それも本当だけれど。

髪の毛を拭く。ネットを開く。そして「国分寺新築マンション」と入れてみる。タワーマンションがヒットする。これなのかなあ。ヒロコはあんな大威張りのテレビを担いで引っ越すのかなって思った。そしてヒロコがでっかいテレビを担いでエレベーターのボタンを押し、エレベーターを待っているのを想像したら、ちょっと声をあげて笑ってしまった。お隣さんはもう寝てるかな? わたしの笑い声を寝ながら聞いて、楽しい夢を見れるといいね。

 そしていつもの通り、体重計に上る。デジタルの数字が行ったり来たりする。そしてそれが止まったのは52キロだった。

 何がいけないっていうんだろう。お昼までにはお腹が空く。そう朝、温かい牛乳をかっけたフルーツグラノーラしか食べていないからだ。お昼だってそうコンビニに行くこともないし、看護師さんたちのように、マックのグラコロだって食べない。この季節のグラコロ。食べてみたいと思ってた。そう季節限定のグラコロ。一回くらいは食べてもいいかなって思っていたグラコロ。50キロを超すなんてないと思ってた。わたしの人生に、もしかしたら彼氏ができなくて、結婚もできない、そんな風に。自分の家なんて持てず、いつもお隣の中年の男性とハミングするみたいに、それがハモるみたいに、掃除機をかける。そんな風にいつまでだって。昨日はだって49キロだったし、たまに48キロになることだってあった。超えてはいけないものを超えたんだ。それは禁忌の世界だった。その世界の住人は、なにかとても重いものを引きずりながら、歩かなければならない透明人間になることだった。普通人は、太った人を見ない。視界に入らないからだ。超えちゃった。超えちゃった。わたしはきっと今日、そこに間隙がないと思って、その深いが狭い間隙をまたいでしまったのだろう。わたしは冷たいフローリングの床に肘と膝を置いてうつぶせになり、その肘を支えている肩、肩甲骨がぶるぶると震える。床が冷たいせいだろうか? それともわたしは泣いているのだろうか? 自分でもよくわからない。それはなぜかと言うと、とても傷つき、たとえばペットが死ぬような悲しみにしばらく泣いた後の妙な安堵感に、包まれていたからだ。いけないことをした。秘密めいた誰にも言えないことをした。そうマンションなんて多分買えない。けど資料請求をした。いつまでも冷たいままのフローリング。世間は冷たいし、だから人だって冷たい。人生もわたしにつらく当たって来た。そう何だってわたしに冷たい。エアコンは部屋を暖めている。けれどわたしは凍ったままだ。お寿司屋さん。お寿司屋さんが冷凍庫から出したばかりのわたし。どうぞ? どうぞ? みんな見て。これから始まるのはマグロの解体ショーによく似ているでしょう? けれど    

違うの。これから始まるのはね、わたしの解体ショー。よく見てて、よく。今はまだ凍ってる。でもうちょっと空調の温度をあげれば、わたしが溶け出すはず。たくさんの水が出る。とても重くて脂がのっているはず。わたしの身体はバラバラにされ、客たちにふるまわれる。そうわたしは今バラバラ。ちぎれてる。ちぎれているわたしを笑わないでね。もしそれすら笑われるのだとしたら、わたしはお吸い物の中で溶けていくしかないのだから。

そしてムートンの敷物の上にやっと移動してショーツだけの姿でうつぶせになる。あ、今ムートンの敷物がわたしの胸に触れている。なめらかではない。雑な感触。そう今誰にも触れられなかった、その胸にざらざらとした雑な感触を感じる。わたしの胸に初めて触れた人はとても乱暴に、とても雑に、大切ではない、そんな風に触れました。