今考え中だ

こじらせ中年って多いですよね。恋愛市場引退したいような、それでいて、私だってまだまだ的な。「まだまだ、ときめいていたいっ」っていう完璧リア充も多いけど、一方で、わたしなんて、いやー、もう、でも?みたいな人も多いと思うんです。つまらない日常からどうやって目をそらしてこう?というヒントが提示できたらという作品を書いていきたいと思っています。また、考えすぎて頭がバカとか変態になっていしまった方へ向けてのメッセージも込めてます。若い人にも読んでいいただきたい!死ぬからさぁ。

また新連載10:卒女生徒

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イラストbyユペたろ~

楽しい想像は止まらない。赤信号で立ち止まる。それと一緒にマンションの夢想からも少しだけ覚める。信号の向こうにはわたしが住む予定の、マンションがあるみたいだ。そして気づいた。信号の向こう側には、あの青年がいた。ふっと「忍耐」というワードが浮かんだ。信号が青になる。わたしの鼓動は早くなる。あの時と同じ格好をしている。違うのはこの前はボーイフレンドデニムで今は黒のクロップドパンツっていうマイナーチェンジに過ぎない。あの青年はきっと私に気づく。そして「ああ、この前の」って言うだろう。誰か同年代の男の人と笑って話しながら、わたしとの距離はどんどん縮まっていく。それは短い時間だったのか、それとも長い時間だったのか、それもわからない。そう、今日だってムートンのコートを着ているし、ナインのパンプスだって履いている。気がつかないはずはないって思う。サンタさん。わたしはずっと一人。わたしの胸に触れた人さえいない。乱暴に雑にざらざらと触れたことあった。でもただ、それだけ。肩が触れ合うんじゃないかっていうほど、近くにすれ違った。

 青年はわたしに気づかなかったみたいだった。それとも五二キロのわたしは彼の視界には写らなかったのかもしれない。わたしに咲いていた青年との夢、その芍薬はぽきんと音をたてて折れた。芍薬はどうやら折れやすくできていた。帰る。朱色の古びた階段をカンカンカンカンと上る。手にケーキとチキンを持っているだけで、あとはいつも通りだ。バッグのポケットから鍵を手探りで出す。このキーホルダーはアナスイで、医療事務の学校へ行っているときに、同級生からプレゼントされたものだ。けれど結局はその友人から補正下着を買わなければならなかった。ねずみ講。その言葉を知ってはいたけれど、意味はだいぶ後に知った。それでも昔友人だと思った人からのプレゼントだ。もう一〇年以上、長く使っている。ヒロコはそのアナスイのキーホルダーを見るたびに、バカにする。

「あえてバカとはいわないけれど、あんたって本物のアホだわ」

鍵を回し、部屋に入る。コートを脱いでクローゼットにしまい、ムートンの敷物の上にぺたりと座る。今日はどうしてか、座るとき、「よっこいしょ」なんて言ってしまった。周りをきょろきょろ見回すような気持ちになる。なんだかいつもと違う。いつも通りだ。今日はチキンだってケーキだってある。ビスケットだってある。心にリズムをつけようと、大きな声で「さて!」と言ってみた。そして手を洗って、チキンを皿に盛ると、レンジに入れて、一分セットする。スタートボタンを押した。でも電子レンジはなんの反応もない。だいたいスタートボタンを押したときにいつも鳴るピッていう音がしないのだ。他のボタンも試してみる。みなピッという音をさせる。なぜなぜ今日に限って、電子レンジは壊れているのだ? 青年だって気がつかなかった。52キロのわたしに。当たり前なのかもしれない。当然のことなのかもしれない。今どの家にも幸福が舞い降りている。あの青年にも幸福があるのだろう。けれどサンタさん、それはそれでいいとして、この電子レンジが壊れてるっていうのは少し手痛い。奇跡が起きないかって思って、何度も何度もスタートボタンを押した。そして最後、ずいぶん長い間、長押ししてみた。すると庫内が明るくなって、皿が回りだした。壊れた電子レンジが、もう一歩と頑張ってくれたっていう奇跡。わたしの目の前には電子レンジがあるけれど、わたしに見えているのは、あの青年だった。肩をぶつければよかった。思い切ってとても近くですれ違うだけじゃなく、肩を思い切りぶつければよかった。そうすれば「あ、すみません」とか「あ、あの時の」っていう会話だって生まれたかもしれないのだ。またしくじった。思いつかなかった。そういうの。そうして生まれる会話や接点。

 次にビスケットとフライドフィッシュを温める。また庫内に明るくなり、皿がくるくる回っている。ケーキはもちろん、チキンの後に食べるつもりだ。

小さなテーブルに置いてある、化粧品や鏡を床に置いて、チキンなどを並べる。一気に華やぐテーブル。わたしはおいしいなおいしいなって言いながら、チキンやビスケット、フライドフィッシュ、コールスローサラダを食べる。おいしいな、おいしいなと言いながら、涙をこぼしながら。口の中まで見えそうに、食べながら、涙をこぼしながら、おいしいな、おいしいな、と繰り返す。突然口の中がざらっとし、ティッシュに出すと、高校の時、治した虫歯の詰めものだった。けれどわたしはやめなかった。コールスローサラダをしゃくしゃくと噛みながら、おいしいな、おいしいな、と繰り返す。

 そしてケーキの箱を開けた。生チョコのケーキとピンクと緑と黄色のろうそくが三本添えられている。わたしはもう涙を流していない。ティッシュを一枚抜いて、鼻をかむ。ケーキに三本のろうそくを立てる。いつもピースを吸う時に使うライターで、ろうそくに火をつける。そして一気に吹き消すと

「メリークリスマス!」と叫んでみた。それなのにこの星には私一人しか住んじゃいないっていうほど、静かだった。聖なる夜。それでも外はあくまでも暗い。聖なる夜に似合うのは、白けるような明るすぎる照明ではなく、温かく控えめな照明だろう。

それは静かなのだろうか。あほらしい気持ち。あほ。そういえば補正下着。わたしの彼は年下の大学院生。あの青年に触ってほしかったな。わたしの胸。サンタさんにお願いする年でもないだろう。でももう一回あの青年に逢いたいのです。また泣く。今度は獰猛な動物が吠えるような声で泣いた。

 

 翌日病院へ着くと、看護師さんたちがキャーキャー言いあいながら、アクセサリーを見せ合っている。それらは昨日のクリスマスイヴ、彼氏にプレゼントされたアクセサリーらしかった。

「サクラさん、サクラさんはプレゼントもらった?」

「ううん。貧乏な大学院生だもの。食事代を出したら精一杯っていう感じだった。わたしはシップスのマフラーをあげたの」

「でも大学院生かあ、将来有望だね」

「でもそれもわたしと関係ないの。わたし、昨日振られたから」

わたしはさっさと着替えて、仕事を始めた。ウソじゃないようなウソ。別に降られたわけじゃない。恋心をうちあけていないし、付き合っていたわけでもない。だから振られたっていうのもウソだ。でももうけりをつけようと思ったのだろう。三人の看護師さんたちに「振られたから」と言った。それでいいのだ。なにが起こるっていうわけでもない。

 

 春になった。春になった瞬間を通勤の途中、駅まで歩いているときに発見した。桜のつぼみはまだ固かった。それも今日来た春がゆっくりとほころばせるだろう。もうムートンのコートはクリーニングに出してしまった。クリーニング代がびっくりするほど高かった。それが初春のトピックだ。今はネイビーのチェスターコートを着て通勤している。パンプスを止めてナイキを買った。ナイキは軽かった。どうやらわたしの脚には、ナインのパンプスより、ナイキの方が似合うようだ。初めてナイキで通勤しとき、院長先生は、

「それ、いいじゃない」

と言って、奥さんも

「なんだか、とっても似合ってるわよ」

と言ってくれた。シンデレラはパンプスを脱ぎ、ナイキを履きました。なんてね。いつの間にか痩せていった。それは青年との決別の翌日からだった。コンマから減り始め、今は45キロ台にまで痩せた。看護師さんたちが、「サクラさん、最近キレイになったよね」と言う。