今考え中だ

こじらせ中年って多いですよね。恋愛市場引退したいような、それでいて、私だってまだまだ的な。「まだまだ、ときめいていたいっ」っていう完璧リア充も多いけど、一方で、わたしなんて、いやー、もう、でも?みたいな人も多いと思うんです。つまらない日常からどうやって目をそらしてこう?というヒントが提示できたらという作品を書いていきたいと思っています。また、考えすぎて頭がバカとか変態になっていしまった方へ向けてのメッセージも込めてます。若い人にも読んでいいただきたい!死ぬからさぁ。

また新連載6:卒女生徒

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渋谷の貸し切りのレストラン。クリスマスパーティー。なにかを飲んだり食べたりしたら、パウダールームでコンパクトを開き、口紅を直す。それを羨ましいと思う。クリスマスを主張しすぎない、でもクリスマス仕様のマフラーを巻いてセブンで黒糖饅頭を買う私。それはやっぱり、美しいのだろうと思う。飾られている花、その花の固い葉に触れたら、手に傷がつくかもしれない。そんな生きていることを、わたしにたいしてビビッドに主張する花や葉がたくさんあるのかもしれない。それはわたしの手を傷つけ、血を出させるのだから、わたしにもわたし自身の生を思い知らさせるだろう。けれど、やっぱり参加したくない。それは絶対だ。初めて会った人と、親しく話す。そんなのウソばっかりだ。礼儀とかマナーっていうウソ。それを悪いとも思わない。けれどそんなウソのために、ナインのパンプスを履いて、ムートンのコートを着て渋谷まで行こうなんて思わない。それはとてもつまらないからだ。

 あ、と思って干した洗濯物を取り込んだ。かごに入れられた洗濯物をベッドにぶちまける。そしてベッドに正座してひとつひとつ畳む。わたしはこの行為を特に大切に思っている。もちろん洗濯もそうなんだけど、洗濯物を一つひとつ大切に畳むっていう行為は、ほかの誰にもやってもらいたくない家事だ。それを奪われたくない。心は冬のバスの空調とは違って、どんどんクールになっていって、だからって寒いわけじゃない。機嫌だってそのときはとてもいい。そして「僕らは薄着で笑っちゃう」をリフレインする。出た。またイマジン。この部屋でいい。この部屋のままでいいから、そのベッドの下のムートンの敷物の上に、誰かがくつろいで座って、その足がスチールの小さなテーブルでホットコーヒーでも飲んでいてほしい。あの青年ではないのだろう。多分。それは今日一日考えたくなかった、思い出したくなかった昨日の思い出だ。そう、昨日だし、もう思い出だ。今日一日が終る。そうなんとなく感じる。そうしたらその青年へのスウィートなアップルパイみたいな思いは、「昨日の思い出」に変化した。

 

 夜大きめのバッグを選び、その中にウールのカーディガンを入れた。明日、カットソー一枚でムートンコートを着て職場である病院に通勤しようと思ったのだ。なんとなく、少し、髪の毛が長くて、つやつやした、一つにまとめてもおくれ毛が出る、そんな女性のように思える。そういう女性はたいてい、コンパクトなバッグが、そうでなければ大きなバッグを持つはずだ。それもあってその大きなコットンのバッグを選んだ。もちろんそれにカーディガンを入れることが一番の大前提だ。

 夕飯はお昼のおにぎりを作った時に余った鮭と、納豆とナスの味噌汁だった。お風呂上り、体重計に上る。この体重計は5年位前、フランフランで買ったものだ。やはり49キロ。何事もなかったように、この休日がなかったように、デジタルの数字は49キロで動かない。そう、何もなかった。何も。わたしは髪の毛をターバンで巻きながら、お手入れをする。そしてターバンを外す頃には髪の毛はだいたい乾いている。おくれ毛なんてあり得ない。そんなに髪は長くない。わたしのアリバイは立証されない。ヒロコからの電話は携帯だった。誰とも会わず、行ったのはおしろいと口紅だけをつけて行ったセブンだけだ。そう、そのセブンで黒糖饅頭を二つ買った。やかんがやかましくて腹が立った。それだけだった。捨ててやるって思ったほどだった。普通だった。そう、普通だった。何も思わなかった。そう二つの思い出だけだ。一つは馬の階段。一つはエンジニアブーツを履いている青年。何も考えなかった。ただ洗濯したシーツや枕カバーがいい香りだって思ったことくらいだ。寝ようとも考えなかった。そうやって眠った。

 起きて顔を洗う。温めた牛乳がかけられたフルーツグラノーラを食べる。そして着替えてメイクをする。そういえば最近よく、「妙だな」って思うことがある。わたしはわたしの肌は汚いって思ってる。けれど人にはきれいな肌って言われることが多い。あの毒舌なヒロコでさえそう言う。いつも「?」とおかしいなって思う。

パジャマは畳んでベッドの上に置くのがいつもの習慣だ。トイレ掃除をする。これは母からの遺伝だ。そう、遺伝子まで組み込まれているトイレ掃除。トイレ掃除への思いはとても強迫的で、それを一日の始まりに行わないと、不安に襲われる。なにか悪いことが起きるかもしない。カードが入った財布をすられるかもしれないし、このアパートが火事になるかもしれない。化粧ポーチを丸ごと、どこかに置き忘れるかもしれない。今持っている少しの情熱が乾いてしまうかもしれない。だからトイレ掃除をする。なにかに憑依されたまま。

 今日はお弁当を作らなかった。材料があまりなかったからだ。ミートボールもなかったし、唐揚げの冷凍したものは、ストックが切れていた。特に入れるような、冷凍食品もなかったし、卵もうっかり切らしていた。昨日の残りものっていうようなものもなかった。ただブロッコリーを茹でて、冷凍のコーンを解凍し、レタスを千切って、タッパーに詰め、オリーブオイルをかけてサラダだけは持った。朱色が所々剥げ、錆びた階段をカンカンカンと降りる。その音をいつも聞く。カンカンカンカン。その音は確かに踏切の警報機の音と似ているけど、決してそんな、むしろ死にたくなるような、不安をあおる音じゃない。ただその音は時にはとても凍てついていて、「生活」っていうことの確かさと厳しさをわたしに教える。

わたしの部屋の中年の男性が住む部屋じゃない方、角部屋の方に住んでいた小さな子供がいる新婚さんは妙に薄かった。その子供さんも薄いって思った。よくガス屋とか水道、電気の集金が訪れていたけれど、いつしか電気がつかなくなった。夜逃げした。別に夜逃げをしたから薄いわけじゃない。薄いから夜逃げしかなかったのだろうと、わたしはその時妙に納得したのだ。そしてこれは一階だが、赤ちゃんのいる外人さんのカップルも夜逃げした。夜逃げする直前、なにか大騒ぎをしていた。大声と大きな音の音楽が聞こえた。そしてその日が過ぎると、突然静かになって、しばらくすると電気がつかなくなった。

 そして考えてみる。この二十三万のムートンコートとナインのパンプスを履いているわたしにこの朱色の階段は似合ってないんじゃないかって。もしかしたらその恰好に似合うのは、自動で開くエントランスや、それに続くロビー、オートロックのドア、エレベーターなんじゃないかって。そうだな、似合うとか似合わないとかそういう問題じゃないかもしれない。わたしの身の丈に合っている、そういうのが、そういうマンションだって気もしてくる。でもわたしはそれを打ち消した。夢みたいなこと。寝てるときに見る夢みたいなこと。クリスマスが近づいたっていうだけで浮かれているだけのわたし。きっとそうだって自分に言う。なにかすべてを納得できないまま、駅へ向かう。土が濡れていた。

 職場に着き、「おはようございます」と言いながら病院に入ると、院長が

「やあ、クマが入って来たのかと思ったよ」

と言って笑う。三人の看護師さんたちも、わー、むくむくだね。かわいいと口々に言う。

「大きな獣みたいだね」

それを言ったのは院長の奥さんだった。悪気はないのだろう。誰にも悪気なんてないのだだろう。わたしの身の丈に合った一人暮らしをしながら、一生懸命働いて得たボーナスで買ったこのムートンコート。一昨日だ。もう完全に思い出でしかないのだろう、その時に出会ったエンジニアブーツを履いている青年だって、心の内でわたしをなにかの動物にたとえながらわたしを見ていたのだろう。オートロックのマンション? 身の丈に合ったマンション? そんなことをさっき考えた気がする。さっきとは言っても一時間以内三〇分以上だ。