今考え中だ

こじらせ中年って多いですよね。恋愛市場引退したいような、それでいて、私だってまだまだ的な。「まだまだ、ときめいていたいっ」っていう完璧リア充も多いけど、一方で、わたしなんて、いやー、もう、でも?みたいな人も多いと思うんです。つまらない日常からどうやって目をそらしてこう?というヒントが提示できたらという作品を書いていきたいと思っています。また、考えすぎて頭がバカとか変態になっていしまった方へ向けてのメッセージも込めてます。若い人にも読んでいいただきたい!死ぬからさぁ。

悲劇のロックシンガーの墓参り

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 ・お墓参り

 

 

ある悲劇のロックシンガーが死に、わたしたちはその数年後墓を参った。ダーリンの強い勧めがあったからだった。思ったよりもこじんまりした墓で、墓には花が供えられていたけど、その花たちはしおれていた。

 このいま、そこにいたのはわたしとダーリンと悲劇のロックシンガーだけだった。とても静かだ。メロチュのこと、生前のお礼、そして冥福も祈ったのち、ダーリンにも打ち明けないある約束をその悲劇のロックシンガーと結んだ。それは絶対の約束だった。

 なにか音が響いた。空のおけが何かにぶつかったような明るく乾いた音で、それは山の斜面にある、その悲劇のロックシンガーのお墓の静寂を際立たせる。天気は曇天だ。雨は多分降りそうにない。

 

どうしてそのロックシンガーは悲劇的だったのかというと、それはそのロックシンガーがいつでも過激な革命者であることをいつもいつも連なるように求められていたし、悲劇のロックシンガーは、ギターを弾きながら歌おうとすると、必ず悲劇のロックシンガー「になり続けること」をオーディエンス全体から求められることが連続で連なっていたからだ。そう、ピックを持ち、歌おうとするその瞬間に。そのどよめきは嵐に揺れる大海原の波のように胎動し動き出すのだ。いつしかその悲劇のロックシンガーはそれを求められている、連続して間断なく求められていることに気が付いてしまった。けれどそこから逃げることはできなかった。悲劇のロックシンガーは先頭に立っているつもりだったが、またいつしかオーディエンスとはいつでも簡単に敵に回る存在であることに気が付き、身動きが取れなくなった。そして悲劇のロックシンガーは「前回」を凌駕することでそこから逃げることができると信じた。けれどいつも当ては外れた。オーディエンスはそれを求めていなかった。それらがもたらしたのはそのロックシンガーの悲劇的な生き方と死に方だった。

 

 昨日、どっかの山師が人間ドッグ胃潰瘍が見つかった。山師は山師だけに、お金と少しの権力をどこかからか借りてくる脳があったので、日本でも有名な医師に執刀を頼み、大げさに苦しんだかと思うと、ヨーグルトが足りないと怒りだし、いつでも何度でも立て続けにナースコールを押し、偉そうなことを言う。その病室には応接室が付いていた。

 

 なんだよ! いつもいつも人の顔色を見てえへへと笑い、機を見るにのみに敏で、人の懐に懐柔する名人、お追従も上手、孫の顔ももう見た。愛人は二人いる。複数の人が集まれば、どの順番で大きな権力を持つのか一瞬にして把握するのが大得意、で、それでいて意味不明に威張ってて。偉そうで。そんなもん別にどっこも偉くなんかないのに。イモで馬鹿なだけなのに。

 

 なんでそんな奴らが悲劇のロックシンガーやメロチュより長生きするのだ。山や川、海を作ろうと、何度裏切られても、何度がっかりしても、いくら引きこもってみても、もう僕はもういいや、と何度思っても、僕もうまっぴらだよと何度思っても、じゃあもう一回と言いつつ何回だって立ち上がって、山や川、海をつくる、人間にはそれができる力があるんだぜと、もう一回と何回も歌った、叫んだ、悲鳴をあげた、そして信じた。そう伝えようとする努力を死ぬ直前まで怠らなかった、たくさんたくさん練習もした。自分を信じていた。いっくら冷めた目が深夜の風呂上り、洗面所の鏡に映ったとしたって、すぐに身体から湧き出る煙で鏡を消して、眠れないけれど、たっぷり眠ったふりをして起きて、そういう人たちがそういう人たちが、なぜ山師より早く死ななければないのだ。昼間見る夢もある。わたしはぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。哀しみじゃなかったのかもしれない。怒りだったのかもしれない。

 

 墓を探しながらダーリンは静寂の中を遠慮しながら口火を切る。

 「なあ、ハニー、俺は今、逡巡している。だってハニー、清志郎にしたら僕って、フーアーユー? ってことにならないか?」

「あら、そんなことを心配していたの? ダーリンってば。それはね、大丈夫。わたしがわたしの夫です、って紹介するもの」

 

 そんな会話をしながら階段を昇っていたら、そういえば、野音でライブ見ましたって言ったところで、清志郎にしてもわたしってのもフーアーユー? よね、と思うのであった。

 マークボランが履いていそうなブーツ。今日はそれを選んだけれど、残念ながらヒールが砂利によってボロボロに傷つけられちゃったわ。

 

愛ってなんだろう(とドリは考える)

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俺を拾ってくたのは、紀子ちゃんっていう大学生だった。紀子ちゃんはバイトの帰りだった。

 紀子ちゃんは古本や、中古のゲームなんかを売る店で働いていて、値段をつけることも店長に任されていて、すごくかっこよく見えたから、俺はつい、ついて行ってしまった。だけど、紀子ちゃんちでは、翌日犬を飼いに行くことになっていることなんて俺はその時知らなかった。そして紀子ちゃんが、そういう理由もあって、俺をついてくるなと、わざとこぶしを振り上げたそのアクションに、俺は少しビビってしまって、道路を後退した。そしたら走っていた車にぶつかっちゃったんだ。

 紀子ちゃんは、俺を抱いて泣いていた。俺は済まないことをしたと思った。紀子ちゃんに迷惑をかけた。紀子ちゃんを悲しませた。俺も悲しかった。

 そうしてお父さんと紀子ちゃんと車に乗った。家には清美ちゃんもいたというのに、清美は来るな、とお父さんに言われて、階段を昇って行った。俺は清美ちゃんも、何故だか分からないけど、かわいそうだと思った。そして右の後ろ足に金属を入れてもらって、退院したが、明るい所で見るとやけに不細工な犬だという、その一家と、清美ちゃんが仲のいい、タカフミといういとこの人たちの評判に、俺は鏡を見た。確かに不細工かもしれなった。俺はまたすまないと思った。

 俺にはドリと言う名前が付けられた。お母さんが仕事に行くとき、メモ帳に、10個くらい俺の名前の候補を挙げていて、その中には「ドリーム」っていう名前の候補もあった。俺はドキドキした。ドリームなんていう名前を付けられたらたまらない。俺はとても恥ずかしい。そのときいたお母さんと紀子ちゃんと清美ちゃんは、むしゃむしゃとドリトスを食べていて、俺は「ドリ」という名前が付けられた。

 そして夜中の11時に、紀子ちゃんと清美ちゃんと遠出もしたし、雨がどんなに降っていても、必ず朝と晩、俺を散歩に連れて行ってくれたし、そんな時は俺だってなるべく早くうんこをしなくちゃって思った。

 清美ちゃんは病気を持っているようだった。たまに激しく大声をあげて、そのあと自分の部屋でそっと血を流すんだ。俺はそんなこと、とうに知っていたから、俺は俺にルールを与えたんだ。つまり、清美ちゃんが部屋でそうしているとき、必ず、初めはかしかしとドアをひっかき、それでも開けてくれなかったら、ドアにタックルをした。そして清美ちゃんの背中に、片手を置くんだ。それが俺のルールで清美ちゃんが、家を出るまでそのルールを俺は必ず守ったんだ。俺は何かを長続きさせるようなことって、苦手だったけれど、それだけは守った。清美ちゃんは紀子ちゃんの2つ上のお姉ちゃんだった。

 紀子ちゃんを、ヒロアキさんって人が迎えに来て紀子ちゃんはいなくなった。そのあと清美ちゃんも順ちゃんっていう人が迎えに来て、清美ちゃんもいなくなった。俺は知っていた。紀子ちゃんの家、荻窪に俺だけが留守番をして、帰りを待っていると、清美ちゃんはフローリングの床に正座をするんだ。俺は清美ちゃんには俺がいるぜと、清美ちゃんのほっぺたをなめた。すると清美ちゃんのさみしさが、俺を通過するように伝わってくるんだ。俺がいるぜ。俺なりのメッセージを頑張って伝えようとする。すると清美ちゃんは決まって分かってくれるんだ。「そうだね、ドリがいたっけ」。

 そして清美ちゃんもいなくなり、俺はなぜか和室の窓際に座って、人の往来を眺めているようになった。

 そして俺は少し長生きをし過ぎたらしい。ある日お父さんが、散歩に連れて行ってくれて、俺を家の中に入れようとしたとき、何かの大きな音が聞こえたように思って、俺は慌てて外へ飛び出した。お父さんは叫んだ。

「頼む、ドリ、俺を捨てないでくれ」

俺は無我夢中でどこまでも走り、走りすぎていつの間にかお星さまになっていた。

 俺から見えるのは、お父さんとお母さんと紀子ちゃんと智子おばちゃんが、電線や店先に、張り紙をしている姿だった。そしてその3日後見えたのは、お父さんとお母さんと智子おばちゃんが、張り紙をはがしている姿だった。

 今俺は楽しくやってる。懐かしいポロもいたし、なんだかかっこいい吟ちゃんもいた。チーコもいるしルミも、ミーオも、にゃんたもいる。そして小鳥たちもいる。吟ちゃんってやつは、頭がよくて俺にはちょっと理解しにくいことを俺に説明する。つまり、吟ちゃんは順ちゃんの実家で飼われていたんだって。お金も拾ったんだって。けど俺にはどうもピンとこないんだ。順ちゃんの実家。それってどんなところだろう?

 みんなでワイワイやりながら、今は待っている最中だ。誰がここにきても俺たちは、

「俺たちについてくるといいぜ」と言って列を作って、安住の地まで案内する。それが俺たちの役目なんだ。紀子ちゃんありがとう。お父さんラーメンに入っているチャーシューをいつももらっちゃってごめんね。お母さん俺が下痢をすると夜中に何回だって目を覚まし、なあ、清美ちゃん?今はさみしくなくなったかい?俺を外に連れ出してくれてありがとう。翌日の仕事、つらかっただろう?俺がそこにいた時期、俺は迷惑ばかりかけたような気もするけど、俺は幸せだったから、もしかしたらみんなにも、それが伝わって幸せに思ってくれたかな?吟ちゃんは「それは確信なんだが」と偉そうに言う。君がその家にいたとき、必ずその家は愛に包まれていたってね。愛ってなんだろう。

 

玉蘭坂

玉蘭坂

 

彼はもともとブラウン管の中にいた

そういえばそうだった

わたしの客席から、彼のステージは遠かった

そういえばそうだった

彼は今もブラウン管の中にいるし

ユーチューブなんてある今、

彼に会うことは当時より頻繁で

簡単なことなのさ

そう、CDだっていっぱい持っている

そう気づいて

玉蘭坂で立ち止まり

ぽんと膝を打つ

それなのに

それなのに

こんなに悲しいのは何故なんだろうと

玉蘭坂で

しゃがみ込む

何故なんだろう?

玉蘭坂の途中で

しゃがみ込む

新連載1:猫とベイビー

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都内、某所にきれいでスタイルも抜群でお尻も大きく、才媛の物腰が優しい女性がいた。名を「ゆき」といい、誰もがその「ゆき」は雪の降る夜、雪のように真っ白く生まれてきたのだと想像するのである。そして実際のところはというと、なに、その通りで、ゆきは1月の雪がぼたぼた降る日に、真っ白く生まれたから、ゆきの両親はとても力強く、ゆきと名付け、その名前から喚起される、誰もが思うその直截なイメージは、父親のその文学的才の故だったのだ。

 ゆきには大挙して男性どもが押し寄せ、群がり、それぞれが選び抜いた花を持っていた。ありきたりではあるかもしれない。そうバラを持った男性は心に思い、心細くなる。その他のバラを選んだ男性も周囲を見渡してそう思うのだった。つまりとにかく、バラを持ってきてしまった、男性陣はあたりをきょろきょろと見渡して、意気消沈、すっかりがっかりしてしまったというわけだ。

 そして選ばれたのは、健二という名の、24歳、ラーメン屋で働く青年だった。その青年は初めから、時間給でラーメン屋で働く俺などに、なんの縁もないのだと最初っから決めてしまっていて、そこに群がっていたのはただ単に、ゆきをそばで見てみたいものだという思いと、イベント感覚、それだけであったから、何も金をはたいて花など買う気も起らず、健二が持った花は、ゆきのもとへ行きすがら、空き地でむしり取った、シロツメクサであったのだ。そしてそのシロツメクサは手折られるとすぐにしなしなとしなびはじめ、ゆきに見せたころには、ただの「俺のへその緒でも見てください」というような、そんなゴミになっていた。けれどもちろん、健二はゆきに己のへその緒を見せたわけではないのである。

 

 これで何回目のデートだ?俺はうそぶいてみる。そう、6回目。紛れもなく6回目だ。俺は、毎回ゆきを水族館に誘った。そしてその前に、と入る喫茶店で、俺は必ずアイスカフェラテを飲み、ゆきはジンジャーエールを飲んだ。ジンジャーエール。ありきりではないが、そう珍しい飲み物ってわけでもない。ジンジャーエールはゆきにとても似合っていた。俺は中学の時と高校の時はモテたのさ、そう自信を持とうと思う。けれどジンジャーエールの氷をかき回す、ゆきのストローを持つきれいな貝殻みたいな、そんな色で塗られた、そして切りそろえられた指を見ていると、すっかり自分に自信も失うし、こうしているのが不思議なような気分になるんだ。

「どうして俺を選んだの?」

そんなことを聞く度胸なんてない。何か致命的な誤解があって、それが目の前でほつれていくんじゃないかと、怖かったのだ。

 というのも俺は大学入学と同時にラーメン屋でバイトをしだし、少しロックなどもやってみて、案外大学というものは楽しいものだと、思っていたら、出席があまりに少ないと、学部長に呼ばれ、除籍だ。という通告を受け、すみません、中退します。とやっと履歴書に書かれるは圧倒的に不利なようにも思われる、「除籍」ってやつを何とかのがれ、やと「中退」という称号を得たんだ。そして24歳、年寄りなら言うだろう。無限大の未来が、とか、頑張れば成し遂げられると。でも大学を2年で中退し、特に何に優れているわけでもなく、ただ漫然とラーメン屋で時給で働く、そんな俺にそんな希望を持てと言われても困ってしまうばかりだ。無限大のようにも、頑張ればっていう風にも思いたい。けれど俺と同じ年で俺と同じ境遇の男がいたら、多分二人で揃って

「あーあ」

と言うだろう。俺の未来っていうのは、なんの志望も諦めていたし、なにかができるとも思っていなかった。つまり

「あーあ」

そう言うものだった。

 そんな回顧を始めたのは、俺が口も開かずに、ゆきのきれいな貝殻色の爪を見てばかりいたせいで、そのときやっとゆきは口を開き、

「なんかさ、健二君って、私の手を見てるよね」

と言った。俺は大いに慌てた。そう言われればそうかもしれない。6回のデートの中6回ともゆきの爪ばかり見ていたような気がしないでもない。変態。俺はぞっとした。世の中の男一般、好きな女の子に、もし「変態」と思われてしまったら、もう首をくくるしかないだろう。そう、死ぬしかない。

「きれいな爪の色だなって、いつも思っててさ。それはうちのラーメン屋の従業員にも大学生の女子が働いてるけど、そんな爪じゃないから」

「それが珍しくってってわけ?」

「珍しいっていうか、とにかくなんかきれいだなって、」

 俺はその時確信したんだ。俺は早くも振られる。ゆきにとって俺は臆病で、多少若いくせして未来の展望もない、ただの爪フェチ男だ。

「爪、褒めてくれてありがとう。私音大じゃない?ピアノをやっていきたいと思ってるから、爪を誉められるのって結構うれしいな。あまり爪特定で誉められたこともないし」

そうか、と思う。俺が危ういところで失敗しなかったことは天の僥倖だろう。しかし天の僥倖っていうやつは、そう何回も起きることではないだろう。危ういところだった。これからはもし、手すりがあるのならその手すりにシッカリとつかまって階段を下りていこう、そう思った。

 「ねえ、今日は水族館はやめにして家に来ない?実はチーズケーキを夕べ作ったんだけど、一人じゃ食べきれないわ。7号でワンホール作ってしまったの。ベイクドよ」

ベイクドは俺も知っている。ワンホールっていうのも言葉の意味から推し量って分かる。けれど7号っていうのはなんだ?

「7号っていうのは、」

「そうなの、もちろん一人きりじゃ食べられないわよね」

そうか、7号。大きいらしいじゃないか。そんなもの俺が全部食べてやる。ひょろひょろして見えるかもしれないけれど、俺はいつも大盛りだ。7号。

 

わたしの方が才能があるのです

先生こんばんは。現在7月21日、AM2時26分

又吉が芥川賞を取りました。

わたしの方が才能があるのです。わたし自身、生涯に本を何冊読んだかなんて、自身わかりませんし、わかっている人の方を不思議に思ってしまいます。

そして今、腹を立てている最中なのです。

 わたしには才能があります。絶対に才能があります。わたしは光沢のあるジュエリーボックスを持っています。その中に大きなダイアモンドが入っています。又吉はそのわたしのジュエリーボックスを開けてみて、「なんだ、河原に落ちている白い石ころじゃないか」と思うかもしれません。でもわたしはそのジュエリーボックスを持って、ひたすら薬を飲みながら、生きて、居場所があるようあんないような、そんな気分で落ち着かなく過ごしているのみなのです。結婚という結果はわたしにとって、幸ではありましたが。

わたしの才能の内訳をお教えしましょう。それは又吉がジュエリーボックスの中の河原の石ころを見て、「おい、これは河原に落ちている、白い石ころだぞ」とわたしに言っても、わたしは又吉に「何を言っている、これは大きなダイアモンドだ」ときっぱり言い切る、それがわたしの最大の才能なのです。

又吉に言いたいことがあります。太宰治の「人間失格」を私はずっと駄作であると思っていました。なんというか「病気も悪く、精神状態も悪く、疲れている」そういう自分にだらしない作品だと思います。太宰治の作品んで優れていると思うのは、素晴らしい筆致で描かれた初期の作品「思い出」であるとか、充実した中期に書かれた、「黄金風景」や「富嶽百景」であると思います。「きりぎりす」もそうです。

わたしは本が好きですが、なかなかに読めない時期が訪れたりもします。けれど読み手として優れていると自分では思っています。それはもしかしたら、一日に交替交替に、4冊くらいを読んでいた、高校時代、大学時代の乱読の時期があったからかもしれません。村上春樹を読んだって、力瘤の入りすぎた導入部と、作品の入口が違うことも読めるし、だいたいの作品上、読み手としてできている方じゃないかと自分では思うんです。

 友達に聞きましたが、又吉はなにやら「人間失格」にマーカーを引きながら、作品を書いたということらしいですが、なぜ又吉は太宰治の失敗作をそんなに研究したのか、わたしにはわかりかねるし、わかってねえなっていうのが感想でした。優れた読み手ではなくとも書けるという証拠でもあるのかもしれませんが。

 吉本隆明もどこかに書いていましたが、「走れメロス」が最後の末尾でユーモラスな場面を描き、それが内容が道徳的な「走れメロス」の倫理観を超えた、作品としての昇華として、というより、太宰治が小説を書く際の、「小説を書くということの倫理観」としてあの部分を入れざるを得なかった太宰治の気持ちも理解できるのです。

 とにかくわたしは又吉よりも優れているのです。わたしは光沢のあるジュエリーボックスを大切にしていて、家事になったら、きぃとポコは順ちゃんに任せて、わたしはジュエリーボックスを持ってアパートを逃げるつもりです。

 だってそこには信としたダイアモンドが入っているのですから。

 

 

 

・少年A

少年A(以後Aは割愛する)の本が出ました。そのニュースに触れたとき、少しの違和感と、嫌な気持ちになりました。

おそらく、その嫌な気持ちの大部分が、印税です。読んでいないけれど、少年が「自己救済のため」と言っているのを、セブンで週刊誌を立ち読みして知りました。それはよくわかるのです。わたしの過去の自殺未遂の数々は、強い破壊衝動と、自己救済であったということは今なんとなく思います。けれど、と考えました。そういった印税の行く先の嫌な気持ち、それを凌駕するやはり、「表現の自由」、そこはそうであるのかなと思いましたが、第一報を聞いたときに感じた、「嫌な感じ」、これを忘れてはいけないし、そこを分析しないといけないのかなって想います。

 

・ああ、

昨日徹夜でエラリイクイーンの「九尾の猫」を読みました。起きてから、なんか読みたくって、島尾敏夫の「日の移ろい」を少し読んで、島尾敏夫の奥さんの究極の良妻ぶりと究極の悪妻振りを感じまして、その後は夏目漱石の「行人」を読んでいて、どっちにしても「ああ、面白いなあ、すごいなあ」と感心しきりです。

 

・才能は整っているけれど、

頑張って修練します。というのもわたしの作品には特色があって、それは「あなただから言うけれど」という筆致があると評されたことがあり、それはかけがえのない、才能と特色であるらしいのです。そして自分で自信を持っているところは、人の感情の機微を、わたしはうまく切り取って、表現するのが得意だという自信があるからです。

・洗濯機

洗濯機が故障し、一昨日の朝から夜中まで、洗濯機を解体して直そうとしたのですが、直らず、結局うちの親に、35000円借りました。これを「情けない」と思うべきなのでしょう。

 

オススメ本

吉本隆明著「フランシス子」。これは吉本隆明没直前に作られた本ですが、はかなさと、生まれて死ぬという感覚が伝わってくる名著。

そして前も言ったんですけど、やっぱり吉本隆明著の「シモーヌ・ヴェイユ」の作品はいいですよ。思想の本ですが、一つのシモーヌ・ヴェイユの人生が描かれた、小説のように読めます。

あとはもう若い頃から何度も読み返しているのですが、吉本隆明著の親鸞に関する本は夏目漱石をしばらく読んだら、本気で読もうと思っている本です。

でもですね。エラリイ・クイーンの作品は推理小説なんだけど、どれもとても優れた作品です。

夏目漱石

夏目漱石は共同体を人類に置いている。バイセクシャルだと思うのですが。

わたし自身は夏目漱石の思い描いた、理想の夫婦像に近い夫婦を順ちゃんとやっているっていう気がしています。閉じていて、そこに親和感が流れているというような。奥さんが人並みっていうか、外に開いていてはダメなんですよね。夏目漱石の目指した理想の夫婦像ってそうじゃないかって思うんです。

例えば旦那が「お隣の家は金持ちだから、家族全員皆殺しにして、お金を盗もう」と言えば、嫁は「そうだね、そうしよう」と間髪入れずに言える。わたしが思う良妻とはそうじゃないかと思えるんです。旦那が何かを言ったら嫁が「わたしもそう思う」と言い、嫁がなにかを言ったら「俺もそう思う」と言える関係。これがどうであれ、どんな夫婦であれ、理想の夫婦像ではないかと思います。

推理小説

面白いですよ。特に昔のやつの方が面白いです。エラリイ・クイーンなんて、ちょっとそんじょそこらの純文学に負けない、厚みのある本です。

・読めないんだなあ

わたしはなぜかドストエフスキーが読めないのです。どうしてかはわかりません。しばらくしたらもう一回トライしてみようかなって思っています。

 

・そしてわたしのジュエリーボックスに入っているのは、キラキラと輝くダイアモンドなんです。

メロチュの死について

メロチュの死について

メロは最初にマンションに住みついた「にゃんさん」という母猫の直系の息子だ。にゃんさんはある程度子供たちが大きくなったころ、わらわらと子猫たちを家に連れてきた。ある子猫はレースのカーテンにぶら下がり、ある猫はクッションの上に頭を置きくつろいでいて、そう、その中にきっとメロもいたはずだ。

メロは昨年あたり、もしくは昨年のちょっと前の冬から、順ちゃんの自転車のかごに住みつくようになり、わたしたちはその自転車を「メロちゃん号」と名付けた。そしていつからか家に入ってくるようになり、(玄関からも窓からも)、そしてうちの玄関のドアが開かないと、それはそれは「にゃおーん、にゃおーん」と絶叫する始末で、近所の人にとても恥ずかしさを覚えざるをえなかった。

 そして今年の夏前、メロは食欲がないようだった。かろうじて水と牛乳を、ぴちゃぴちゃと舌を湿らす程度だった。メロは何らかの病気に罹っていた。

 そして夏の間、メロはやってこなかった。わたしたちは少しの寂しさを味わった。そう、少しであってそうたくさんではない寂しさだった。そしてメロが心配だった。

7月2日、メロはうちに久しぶりに現れた。けれどもう食べ物どころか、水も何も飲もうとせず、わたしは順ちゃんに「もうすぐ、死ぬよ」と言った。

 元気なころのメロっていうやつは、お腹が空いたらエサ用の皿をかたんかたん鳴らして餌を要求し、いつもソファの上に陣取って、わたしと一緒に寝てみたり、深夜3時間まで居座り、ソファを占拠していた。ウィッシュをやることもあって、わたしたちを楽しませてくれた。

 けれどメロは病気になった。

7月3にはメロは現れなかった。わたしは順ちゃんに「もう死んでるよ」と2回目の「死」という言葉を口にした。そして1日開けて7月4日、またメロは庭からやってきた。網戸にしていたから気が付いたようなものの、もうメロは多分声を出すのも億劫だったのだろうと思う。けれど順ちゃんが網戸をあけてやるとメロは部屋に入ってきて、なぜか部屋中をうろつきまわった。けれどその様は足がおぼつかなく、よろよろとしたもので、わたしがDYIして作ったベンチの下に入っていった。そして順ちゃんがお風呂に入った。わたしがメロを見守らなければならなかった。わたしはソファでうとうとしていたのかもしれない。なにか音がして意識が現実、苦しい現実に戻り、メロを見るとメロはさらに奥に身を置いていて、わたしはメロに声をかけ、「メロ、メロ、メロチュ」と呼んでみたが反応はなく、触ってみてもピクリとも動かない。わたしはかなり焦った。メロがもしかしたら死んでいるのかもしれないと思ったからだ。順ちゃんに早く風呂から出るよう頼み、汗を拭きながらパンツ一丁の順ちゃんは、メロを強引に抱き、網戸を開け、外に出した。それを見ていたわたしは、何回もメロが出たくないよーーーと踏ん張ったように見え、順ちゃんにそのことを伝えると、

「でもな、ものすごく力が弱かったんだ」

と言う。わたしは「今晩きっともたないよ」と3回目の「死」を発言した。

 

そしてわたしの誕生日9月5日であるが、その日がメロの命日となった。わたしたちはバスを乗り継ぎ釣堀に行こうという最中で、マンションの玄関を開け、誰も気が付かないような、植え込みの中にメロはいて、口をぽっかり空けていた。死んでいるのかもしれない、そう思った。けれど手を目一杯伸ばしてメロの頭のつむじを撫でると、 ぼんやりと目を半開きに開けた。

釣堀では初めは釣ろうとしていたが、徐々に身体がだるくなり、寒気もし、頭も重く、それからは順ちゃんの釣りをぼんやり見たり、喫煙所でエコーを吸ったりして過ごした。 

 うちまで帰ると、順ちゃんはすぐに整体に行ってしまった。わたしはメロを見に行った。さっき、釣堀に行くとき見たときより、メロは植え込みのさらに中に進んでいた。

 そして顔に蟻が群がっていた。

わたしは必死でありを追い払った。ああ、ポコちゃんに餌をあげる時間だ。部屋に戻りアルコールで殺菌しポコちゃんに餌をやる。そしてまた植え込みにはいつくばりメロの頭についている蟻をこすり落としこすり落としこすり落とし、けれどそんな姿を近所の子供たちが見れば、メロが見世物になる。そう思ってしばらく蟻を追い払い、そして部屋に戻る、それを繰り返した。そしてあちこちに電話して、やっと猫の死体の回収を行っている役所に電話をかけると、6時までだという。それではメロチュがかわいそうすぎる。わたしは「ではわたしがその死んだネコを玄関に保護しますので」。そこまで言うと、その役所の人間も、では業者を当たってみます。と言ってくれて、わたしはまたメロのそばに行き、頭を撫で、蟻を追い払い、でももう暗くって、でもメロに蟻がたかるなんて許せることじゃなくて、でも蟻も見えないほどもう暗くって。

回収業者がメロを箱に入れ、手を合わせ念仏のようなものを唱えている。わたしも倣った。部屋に帰るとしばらくはぼんやりして、その後に「わっ」と泣いた。涙は止まることなく、けれど

「諦めるっていうこと、わたしなぜか得意じゃなかった。けれど諦めなくちゃならないこともあって、しょうがない、しょうがない、しょうがない、そう思うのも必要なんだね」と言うと、

そうなんです。順ちゃんは涙をぽろぽろこぼしながら何度もうなづいて、「そう、しょうがないんだ」と言って笑っていた。

Ⅰダンチョネ

ダンチョネ

 

「あんた、あたい、肴はあぶったイカでいいよ」

寡黙にダーリンはするめをストーブの上に置く。わたしの身に着けている深いスリットの入った、ひざ下のタイトスカートは紫のベルベットで、アイシャドウも紫だ。そしてマスカラをこれでもかと言うほど塗り重ね、そしてわたしはなぜか割烹着を着ている。

ストーブを納戸から出しておいてよかったと心から思う。宿命。そんな言葉すら頭をよぎる。ダーリンは少し丸まったするめを菜箸でとり、空中で右に左にとぶんぶん振り回している。その行為が何を意味するのかわたしはダーリンに尋ねない。思慮深いダーリンのことだ。何かしらの創意工夫なのだろう。ダーリンは冷蔵庫からマヨネーズを、調味料入れから七味を取り出し、皿に盛る。わたしはダイニングテーブルに座っておらず、ダイニングの床暖の上に左手で手枕をしてよりかかっている。ダーリンは黙って私に倣い、床暖の上に横になり、わたしとの間に裂いたするめの皿を置く。

「あんた、今日は沖の鴎も深酒のようだよ。無口なもんだ」

ダーリンは黙ってするめをしゃぶる。わたしも黙ってするめをしゃぶる。

「こっちさこ」

ダーリンがやっと口を開く。もうあぶったイカもそう残っていない。

「こっちさこ」

CHOYAの梅酒のピッチが早すぎたダーリンは、もう一回そう言う。わたしはその手には乗らない。そんなに簡単な女でもない。

「ダンチョネ」

しばらくわたしたちは黙ったままCHOYAの梅酒を飲みエコーを吸うばかりだ。見るとダーリンの顔に無精ひげが生えている。珍しいことだ。無精ひげの中には白いものも交じっていて、それがいっそうダーリンを思索深い哲学者に見せている。そしてまた船上に横たわり、たまに目を閉じながら、ワンカップをグビッと飲んでのどぼとけを大きく揺らす、漁師のような雰囲気も醸し出している。

 今、空気清浄機の静かな音は、夜のしじまに浮かぶ海のかすかなさざ波のたてる音に聞こえる。

 早朝の新聞配達のバイクの音が小さく聞こえ、キッチンの窓が明るくなった気がした。ダーリンは

「愛しあの娘とよ、朝寝する」

とつぶやいた。わたしは

「ダンチョネ」

と言ってダーリンの腕にくるまれて酔い覚めのエロスの中に漂いながら眠ってしまった。